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Statement

わたしたちの目に映る光景のなかには、
たとえば「電車」だとか「木」だとか「日光浴」だとか「笑う」だとか、
そうやって名前をつけて呼び慣らしてきたものごとがきらめくように溢れています。
わたしたちひとりひとりが生きて過ごす何年とか何十年という長さではなくて、
千年とか一万年という時間のなかに、
それらの呼び慣わされたものごとが置かれている場面を想像しながら、
あらためて光景を眺めてみると、
ものごとの境界線が不可思議にもくにゃくにゃと
なんとも形容しにくいものと感じられることはないでしょうか。 

わたしは身近な友人との会話や出来事、過去の経験や未来への空想などから、
いま、わたしが経験している世界を作っているのだと思うのですけれど、
すごく長い時間の流れのなかに、
風が吹くように、土が香るように、身を任せてみると、
光景を眺めているはずのわたし自身もふくめたいろんなものが
混沌とした感覚に陥ることがあります。
わたしはわたしの友人そのものなのかもしれないし、
わたしはアトリエに置かれたサボテンであり、
家で飼われるチンチラであり、
鴨川で狩りをするアオサギであり、
あるいはこちらを見つめているあなたであるかもしれません。

人って不思議な生き物ですよね。
わたしが飼っているチンチラも、アトリエに置いてあるサボテンも、
自分たちがチンチラであるとか、サボテンであるということを
知ってかしらずでか、彼らがあるがままであるようには
わたしたちは生きることがなかなかできません。
でも、わたしはわたしが感じるものごとに対して、いつも率直でありたい。
何かのためでもなく、どこに向かうわけでもないのだけれど、
想像力を豊かに膨らませた感覚や感情のようなものそのものでありたい。
表現するということは、そうやって呼び慣らされ、
安心してしまわないような積極的な振る舞い方だと言えるでしょうか。
あなたは、いまこの瞬間、とても大きな時間の流れに身をまかせ、
どんなことを感じるのでしょう?